アントニオ猪木は生涯200億円稼ぐも借金に追われていた こんなトリックスターはもう現れない
戦後史に残るトリックスターだったアントニオ猪木が亡くなった。享年79。
力道山にスカウトされた猪木は、力道山亡き後のプロレス界を、ジャイアント馬場とともに牽引し、「燃える闘魂」と呼ばれ、ファンを熱狂させた。
猪木の名前を世界中に知らしめたのは、1976年6月26日に行われた、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦だった。だが、リングにあおむけになった猪木の周りをアリが回るだけの45分間は、「世紀の大凡戦」と酷評された。
週刊文春(10月13日号)は、当時のアリの肉声テープを入手したと報じている。そこでアリは「八百長など仕組まれた試合はしない」と言っている。したがって、この試合は「究極のガチンコ勝負」だったとみているが、元プロレス誌編集長・井上譲二の「闘魂最終章」(双葉社)によれば、3カ月後に大事な試合を控えていたアリが本気でやるはずはなく、約18億円といわれるファイトマネーが欲しかっただけだとニベもない。