アントニオ猪木は生涯200億円稼ぐも借金に追われていた こんなトリックスターはもう現れない
有名にはなったが大借金を抱えた。だが、猪木の信条は「他人から借りたカネも俺のカネ」。週刊文春が計算したところ、生涯に稼いだカネは200億円にもなるというが、昼飯に500万円、夕飯に1000万円という乱費癖もあり、晩年は借り入れた1500万円が払えず、債権者に株式を差し押さえられるほど困窮していたそうだ。
1998年に55歳でレスラーを引退するが、89年にはスポーツ平和党を立ち上げ、約99万票を獲得して参議院議員になっている。翌年、イラクのクウェート侵攻で邦人41人がイラク国内で人質になった際は、トルコ航空機をチャーターし、人質の家族を連れてイラクを訪れ、プロレス興行を開催。人質が解放されるという“快挙”を成し遂げてもいる。北朝鮮に何度も足を運んだ。拉致被害者救出を掲げていたが、その裏では、財界人に「レアメタルの権利を取ってくるから、金を出してほしい」と持ち掛けていたといわれる。
1991年2月、突然、東京都知事選出馬を表明したが、あっという間に撤回。私が編集長だったフライデー(1991年3月29日号)で、「都民をバカにするのもいいかげんにしろ」と批判した。当時から「カネで転んだ」といわれていたが、週刊文春によれば、断念する代わりに、佐川急便社長から融資してもらっていた約17億円をチャラにしてもらったという。