真田広之『SHOGUN 将軍』でエミー賞18冠 子役からの紆余曲折「世界のサナダ」までの軌跡
理想的な“EAST MEETS WEST”
その壁を破ったのが、戦後の混乱期を賭け麻雀によって生き抜く青年を演じた「麻雀放浪記」(84年)である。アクションを封印したこの映画で、彼は俳優として一皮むけた。その後は時代劇でも「必殺4 恨みはらします」(87年)では悪役に挑戦して演技の幅を広げ、「独眼竜政宗」(87年)の松平忠輝役で、大河ドラマにも出演。大河ドラマ「太平記」(91年)で主役の足利尊氏を演じてからはアクション俳優というジャンルに偏ったイメージはなくなり、時代劇の中心的な存在になっていった。
90年代からは、大道芸人から謎の絵師・写楽になる主人公を演じた「写楽」(95年)、安倍晴明の宿敵・道尊を憎々しく演じた「陰陽師」(2001年)を経て、日本における彼の時代劇の到達点ともいえる山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」(02年)に主演。地方の藩の下級武士の生活をリアルに演じ、ラストには上意討ちの命を受けて、田中泯との壮絶な一騎打ちも披露したこの作品は、アクションと演技の両面で成熟ぶりを見せつける一本になった。
「ラストサムライ」(03年)に出演してからは、真田広之は拠点をアメリカに移して活躍したが、たとえば「忠臣蔵」を翻案したキアヌ・リーブス共演のハリウッド映画「47RONIN」(13年)で大石内蔵助を演じても、違和感のある侍の生活ぶりや「忠臣蔵」の世界を麒麟まで登場させるファンタジーに変えてしまう海外の作り手の考え方と、長い年月をかけて本格的な時代劇の表現を身に付けてきた真田との間に、ギャップがあったのは否めない。
その違和感を払拭して、日本人をルーツに持つ俳優を日本人の役に起用し、衣装や小物、所作や言葉遣いまで、すべて日本の時代劇にのっとった作り方をしたのが「SHOGUN 将軍」である。7割が日本語のセリフという、非英語作品がエミー賞の作品賞を受賞したのは初めてだが、真田にとってはようやく「たそがれ清兵衛」の先に進んだ、時代劇を作れたという思いがあるのではないか。
彼は授賞式のスピーチで「本作は東と西が出合う夢のプロジェクトでした」と言ったが、ここで使った「EAST MEETS WEST」というフレーズは、彼が主演した95年の岡本喜八監督作のタイトルでもある。西部劇と時代劇が融合した娯楽作を狙ったその映画は、予算やスケジュールの制約もあり、監督の熱意は感じられるが成功作とは言い難かった。時を経て、理想的なEAST MEETS WESTをかなえた真田広之が、次にどんな時代劇を目指すのか。今後作られる「SHOGUN 将軍」の続編にも期待したい。
(金澤誠/映画ライター)
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