女子プロレスはストリップ劇場の余興から始まった
「『おまえ、明日から事務所(入り)な』って言われて、スタッフになったんだけどね」
──1968年に松永4兄弟(健司=次男、高司=三男、国松=四男、俊国=五男)が全女を創設。中には4人を名前にちゃん付けで呼ぶ選手もいた。国松は、レフェリー「ジミー加山」としてリングに立っていたので、ジミーさんと呼ぶ選手も多かった。兄弟で唯一女子プロに関わってないのは、長男の久だ…
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