天才落語家 桂枝雀がうつ病で自殺の衝撃
枝雀は素顔は生真面目で理論派だった。持論は「落語は緊張と緩和のバランス」。呻吟(しんぎん)しながら常に新しい手法を模索し続けていた。客が手を叩き大笑いしても「本当に心の底から笑ってもらえているのだろうか。まだ何か足りないのではないか」と沈み込んで悩むストイックな人だった。
中学3年の時に父親を亡くし、工員や学校の給仕の仕事をしながら定時制高校にトップ合格。働きながら神戸大学に現役合格した。
大学には1年通っただけで中退し、桂米朝に弟子入り。10代目桂小米という名で落語家デビューした。当時は晩年のスタイルとは違うクラシックで上品な語りが特徴だったが、「うまいが暗い」といわれて悩んだ。後に家庭を持ったことへのプレッシャーもあり、30代半ば、73年に重度のうつ病と診断され、仕事を3カ月休んだことも。
だが、その年、2代目桂枝雀を襲名し、スタイルを大きく変更。派手な高座は評判を呼び、このころから人気もうなぎ上りになっていく。この時には薬を飲むこともあったようだが、枝雀のうつも治まっていったようにみえた。