吉野公佳 清原との噂だけが独り歩きして激ヤセ入院
<1997年1月>
94年の東洋紡水着キャンペーンガールやフジテレビ・ビジュアルクイーンに選ばれるなど、女子高生グラビアアイドルとしてブレークした吉野公佳。セクシーな健康美が人気で、米米CLUBの石井竜也が監督を務めた96年の映画「ACRI」では美しいヌードも披露して話題となった。
だが、「ACRI」公開直後の96年秋ごろから激ヤセが指摘されるようになる。マニアの間で「丸顔にムチムチがいい感じだったのに」「1年ちょっとであんなになっちゃうとはネ」といった声が聞かれるようになった。出演していたバラエティー番組には「公佳ちゃんのガリガリの腕はどうしちゃったの」という視聴者からのクレームまで。
原因について、所属事務所はハリウッドデビュー作となった96年秋の映画「BAJA RUN/デス・ドライブ」の撮影などによる仕事のしすぎと説明した。しかし、マスコミは吉野が典型的な拒食症で、激ヤセは男性関係からくる精神的なストレスが原因と書きたてる騒ぎに。
中でも注目を集めたのが96年11月11日に西武ライオンズからフリーエージェント宣言した“元祖球界一のモテ男”清原和博(当時29)。FA騒動真っただ中の11月14日、吉野(当時21)のマンション近くに清原のものと思われるベンツが止まっていて、さらに2人に似た人影が目撃されたのだ。清原は「(マスコミを避けるため)ホテルとウイークリーマンションに潜伏している」と関係者に語っていたが、そのウイークリーマンションは吉野の自宅近く。本当に泊まっているかどうかを疑問視する声まで。