<29>主張を百八十度転換した控訴審では行為そのものを否定
日中国交正常化という「実績」を力に首相、田中角栄が打って出た総選挙(1972年12月)で自民党は安定多数を確保した。金脈問題で田中政権が揺れるのは2年後である。
投開票の6日後、初代一条さゆりは1審の実刑判決を不服として大阪高裁に控訴している。検察側もその3日後、懲役1…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,074文字/全文1,214文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】