中森明夫「寺山修司を語るな! 寺山修司を生きろ!」
“市街劇”を「日刊ゲンダイ」で展開
寺山は読者参加で、人々を交流させ、出会いを組織した。はるか未来のインターネット、SNSやマッチングアプリを予言して、それを70年代半ばの新聞紙面で展開してみせたのだ。すごい!
ことに大好評だった企画が<宝さがし>だ。2万円を都内某所に隠しました、としてヒントを出して、読者らに探させる。77年の大みそかの夜には<片目のランナーを追え!>の指示で、読者らが東京タワーの下を走り回ったという。銭湯の女湯に宝が隠された折には、入れない男性読者らが地団駄を踏んだとの悲喜劇もある。
これは寺山が自らの劇団・天井桟敷により、劇場を飛び出して、街の真ん中で無許可でハプニング劇をやり、大騒動となった“市街劇”の発想だ。しかも、それをアングラ劇の舞台ではなく、サラリーマン夕刊紙の紙面で展開したことの異化効果は大きい。
よくこれが「日刊ゲンダイ」に毎週、載っていたな!? とアナーキーでアバンギャルドな紙面を見て、仰天する。
いや、当時の日刊ゲンダイの読者は団塊の世代の若手サラリーマンだ。全共闘運動の騒乱を経て、シラケの季節と言われた70年代に、市街から紙街へ──挑発者テラヤマが火をつけるその扇動的な紙面に大いに熱くなったことに違いない。