能登半島地震の映像でつらい記憶が…「震災フラッシュバック」気持ちを軽くする周りのサポート
最大震度7を記録した能登半島地震は、正月の祝賀ムードを一変させ、地震の怖さを強く印象づけている。被災地の人の苦労は察するに余りあるが、被災地以外の人でもテレビやSNSなどで惨劇を目の当たりにして、過去の震災体験をフラッシュバックさせて心を痛める人もいる。震災の余波が被災地の外にも広がる中、心労を募らせた家族や仲間をどうケアするか──。
「能登半島地震のニュース映像を見たら、福井地震のことを思い出して、食欲もなくなり、眠れなくなったんです。能登半島地震が発生した時刻は福井地震と同じような時刻で、被害状況も家屋の倒壊と火災でよく似ていて……」
こう言うのは、いまは東京・港区に住む98歳の女性だ。1948年6月28日午後4時13分に発生した福井地震は、福井平野を震源とする都市直下型地震で、マグニチュードは7.1。震源付近ではほぼ100%の家屋が全壊し、地震発生直後から火災が広がる中、女性は倒壊した自宅の下敷きになって、翌日救助されたという。
能登半島地震は元日の午後4時10分にマグニチュード7.6を記録すると、家屋の倒壊が相次いだほか、輪島の朝市周辺は火災で一面が焼け野原となった。
女性の被災体験と能登半島地震の被災状況は酷似する。女性が続ける。
「あのときは、お腹に長女がいました。『なんとか娘だけでも助けてください』と祈りながら、お腹を守っていました。だから、余計に被災がつらかったし、今回はお隣の石川での地震でしょう。石川には親戚が住んでいたこともあり、なじみがありましたので、いろいろなことが重なり、がれきに埋もれた光景がまざまざと頭の中に蘇ってきたんだと思います」
女性は、不眠と食欲不振のつらさを感じる一方で、「石川で被災された方々はもっと大変でしょう」と心を痛める。
日本はプレートや活断層などさまざまな事情によって地震が多発する。全道をブラックアウトに陥れた北海道胆振東部地震(2018年9月6日、M6.7)や震度7が連発した熊本地震(16年4月14日、M6.5)、そして東日本大震災(11年3月11日、M9.0)など頻繁に歴史的な悲劇が繰り返されている。前述の女性のように、過去の苦い経験をフラッシュバックさせて、精神的に追い込まれる人は少なくないだろう。