【東京佐川急便事件】異聞(158)生原秘書の話した内容が検察からマスコミに漏れている
とはいえ、金丸信の金庫番秘書、生原正久が言う通り、5億円授受の時期が1989年9月か10月であったとしても、検察が容疑を認知した92年8月27日の時点では、金丸の寄付の量的制限違反はまだ3年の時効は完成していなかった。
金丸本人の違反が成立するか否かの「肝」は金丸側が東…
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