軍が演出した南京陥落の歓迎デモを秩父宮殿下はどう見たか

日中戦争が長期持久戦になっていく事態に、日本国内は一気に戦時体制にと変わっていった。国民は耐乏生活を余儀なくされ、次第に軍事が中心の国家へと変貌していった。「欲しがりません、勝つまでは」といった類いのスローガンが街にあふれ、「贅沢は敵だ」という標語があちこちに張られた。青年層が…
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