「日本がウラン爆弾を持ったら、より悲惨になった」と断言した将校もいた
サイパン陥落時のそれぞれのウラン爆弾への態度はさまざまに揺れていた。しかしあえて分けて考えると以下のようになった。
1、仁科芳雄研究室所属の科学者──原理の研究はする。開発製造の研究は行う。
2、荒勝文策研究室所属の研究者──研究のみ行う。製造開発には一切手を染めない。…
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