ロシアの反発を恐れながら屯田兵制を確立 家屋を作り第1陣が入植した
結局、屯田兵制度は明治6(1873)年11月に明治天皇の許可を受けることで、正式に発足することになった。開拓使と陸軍省の対立は、開拓業務については開拓使、防備については陸軍省が責任を負うことで話がついた。といってもそれぞれ縄張りが出来上がっていて、細目になると互いに譲らない。そ…
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