東と名乗る青年が遺した原稿用紙100枚におよぶ陸軍スパイの手記「防諜記」を見せられた
吉田茂の平河町の自宅には雪子夫人が住んでいたが、昭和16年10月に病死している。そのあとは女中頭が家の中の一切を取り仕切っていたというのだ。その女中頭の元に20歳の女性が女中の一人として、憲兵隊から送り込まれた。この女中は憲兵隊などで徹底した教育を受けていて、いわば有能なスパイ…
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