“無政府主義者”の宮下太吉 明治42年11月、爆弾の製造に成功した
明治40年代の日本は、日露戦争による戦争疲れのような状況でもあった。青年層には賭博への関心を深めたり、遊興にうつつを抜かす者も増えた。さらに退嬰的な風潮に身を任せ、挙げ句の果てに自決への道を歩む者も少なからず存在した。
前回述べたように、こうした社会の空気に、政府や軍部…
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