すでにしっかり者の片鱗 恩師が語る羽生結弦の「中学時代」
ソチ五輪から帰国後も、全国民が感心している。フィギュアスケート日本人男子では初となる金メダルを獲得した羽生結弦(19)。直後のインタビューでは、はしゃぐこともなく、「(大震災で被災した)仙台人として、ボランティア、募金もだいぶ途絶えてきてしまっているので、何かきっかけになって、復興に対する一歩になってくれたら一番うれしいです」と淡々と語った。
ソチから帰国すると下村文科相を表敬訪問し、「東北地方には通年リンクが1つしかなく、カーリングもアイスホッケーもやっていて練習時間が取れない。もっと支援していただけたら」と直訴。金メダルの報奨金300万円は「震災(復興)の寄付や、スケートリンクへの寄付に使いたい」と述べた。なかなかできることじゃないが、実は羽生クンは子供の頃からしっかり者だった。
■勉強の遅れは問題集でコツコツと
仙台市立七北田中学3年時の担任だった庄子勝先生が当時の羽生についてこう語る。
「ひと言で言えば頑張りやです。中学の時はいろいろなスケートの大会に出るので学校は休みがちでした。練習があるので塾にも行けない。普通なら勉強が遅れてしまいます。彼は自分で問題集を買ってコツコツやっていました。遅れるどころか成績は良かったです。生活面では、スケートの大会で休むと掃除係などができないものですから、学校に来たら積極的に取り組んでいました。『休んでいるときに、みんなに迷惑をかけているから』ということなんでしょう。でも、そういうことをアピールするような子ではない。スケートのコーチやお父さんに言われていたのかもしれませんが、学校に来たらやるべきことは必ずやるので、友達にも好かれていましたね」