原博実氏が語る「ザック日本の敗因」「専務理事兼務への批判」
――2戦目のギリシャ戦後、MVPに選ばれた本田選手が途中から記者会見場に入室。座っていたザッケローニ監督とは、一度も視線を交わしませんでした。2人の間に何かあったのですか?
「何もなかったと思いますよ。勝たないといけない試合を落とし、2人とも悔しい思いでいっぱいだったのでしょう。それで目を合わせなかっただけだと思います」
――初戦の後、2戦目の後にカンフル剤として監督交代という考えはなかったのでしょうか?
「まったくありませんでした。たとえばザッケローニ監督がW杯のプレッシャーに舞い上がり、どうしようもない状態だったら考えないといけないが、そんなこともありませんでした。原代行監督? まったくなかったですね」(※注=10年9月4日のパラグアイ戦、7日のグアテマラ戦はザッケローニ監督のビザの関係で原代行監督が指揮を執った)
■ペースキャンプ地はベストな選択でした
――そもそもベースキャンプ地のイトゥからW杯初戦、2戦目ともに移動だけで約5時間かかりました。日本は前日入り、翌日戻りの日程でしたが、2日前入りにしたり、試合会場に近いベースキャンプ地を探すといった考えはなかったのでしょうか?