「内野手になったかも」恩師が明かすロ軍青木のヤクルト時代
「早大から入団してきた時は何事にも貪欲に取り組んでいました。練習の虫という印象が残っています」――。
攻守にわたる活躍でロイヤルズの29年ぶりのワールドシリーズ(WS)進出に貢献した青木宣親(32)について、当時、ヤクルト二軍守備走塁コーチを務めていた猿渡寛茂氏(65)がこう振り返る。
青木は03年のドラフト4巡目で入団。1年目の04年はイースタン・リーグ首位打者(打率3割7分2厘)となり、フレッシュオールスターではMVPを受賞したが、一軍出場はわずか10試合に終わった。
■若松監督の若手方針
1年目の青木に守備の基本を叩き込んだのが猿渡氏だった。
「足は速いので外野守備に関してはまずまずだった。(二軍のグラウンドがある)戸田で試合がある時は、終了後に二塁や遊撃の位置につかせて内野の守備練習をしました。当時の一軍の外野は、左翼にラミレス、中堅に飯田、右翼に稲葉とレギュラーが固定していた。若松監督(当時)の方針から、若手には『1人2ポジション』をこなせるように指導していたので、青木にも内野を守れるように併殺の練習やスナップスローなどを仕込んだ。本人も置かれた立場を理解していたのか、ポジションはどこでもいいから、一日でも早く一軍に上がろうと目の色を変えて打球を追いかけていました」(猿渡氏)