仁志敏久氏が語る激動の96年シーズン「メークドラマ」
1996年、開幕ダッシュに失敗した長嶋巨人は、球宴前の7月6日に早くも自力優勝の可能性が消滅した。70試合を消化したこの時点で首位の広島との差は11.5ゲーム。スポーツ紙には「終戦」の文字が躍った。だが、札幌市円山球場で行われた3日後の7月9日の広島戦。巨人は二回の2死走者なしから、プロ野球タイ記録の9連続安打を放ち、一挙7点を奪って大勝する。ここから波に乗ったチームは逆転優勝。長嶋巨人は、この年の流行語大賞になった「メークドラマ」を成し遂げた。ルーキーとして9連続安打に名を連ねた仁志敏久氏が激動の96年シーズンを振り返る。
「あの9連打は7番の後藤さんの二塁打から始まって、8番の村田さん、9番の投手の斎藤さんが続き、1番のボクに打席が回ってきた。その時点では、よもやプロ野球記録になるまでヒットが続くとは思ってないから、重圧はなかった。ボクの中前打で満塁となって2番の川相さんが満塁本塁打。そこからまたヒットが連なり、後藤さんで終わった。ベンチの雰囲気? 盛り上がったことは覚えていますね」
6月終了時点で31勝35敗の借金4と低迷していた巨人は、ここから怒濤の追い上げを見せる。7月を13勝5敗で乗り切ると、19勝7敗と躍進した8月の終わりについに広島をとらえた。