<第38回>日本ハム入団の真相

野手としては1年目から使える。投手としても、いまの実力をさらにアップさせるだけの性格面のプラスアルファがある――。
日本ハムGM(現スカウト顧問)の山田正雄は、韓国のU18世界選手権で他の選手も含めたドラフト候補の実力をチェックして帰国。スカウト会議を重ねた末、大谷をドラフト1位指名することを決断した。大谷は当時、メジャー志向を表明していたものの、山田は「その年、最も評価した選手を指名する」という矜持を捨てたくなかった。
そんなあるとき、山田は栗山監督と話をする機会があった。
「山田さん、大谷は投手と野手、どちらが期待できそうですか?」
「それは分かりません。ただ……両方ともいいですよ」
このときの「両方ともいい」という一言が、結果として大谷の気持ちを動かすことになる。
「ご両親に高校からいきなりアメリカに渡った場合の成功例が少ないことを理解していただけたこと、栗山監督の何としても一人前にしますという誠意が伝わったことが大きかったと思いますよ」
大谷が日本ハムに入団した経緯に関して山田はこう言ったが、打者だけでなく投手としての可能性を提示したことが決め手になったのではないか。
ドラフト前の時点で、大谷を投手として高く評価する球団はほとんどなかった。夏の県予選では160キロをマークしながら、決勝で敗れて甲子園出場を逃した。センバツでもU18でも結果を残せなかった。日本ハムはしかし、投手としての可能性も評価していた。数回にわたった交渉の過程で、栗山監督は大谷に「(投手と野手)どちらも挑戦してみれば?」と伝えている。
大谷はおそらく投手にこだわりがあったのだろう。高2のときに
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