<第1回> 阿部「捕手復帰」がチーム崩壊の序曲
入団以来、14年の長きにわたって「扇の要」を務めた阿部だって、若い頃は「リードが下手」「頭が悪い」とチーム内外でボロカスに言われた。それでも、当時の長嶋監督が我慢強く起用し続け、球界を代表する捕手になった。そういう経験があるからか、首脳陣より阿部の方がよっぽど、真剣にチームを案じていた。
「慎之助が首を痛めて二軍落ちした4月中旬のことです。一軍のナイターの試合中、慎之助からチーム関係者に大変なけんまくで電話があったのです。『小林のリードの意図があれじゃあ投手に伝わらないよ。配球が正解か間違いかなんて結果論だからどうでもいい。なぜこのボールなのか、このコースなのか、声とジェスチャーと気持ちで、もっと自分の意図を強く投手に伝えないと。小林に言っておいて!』という内容だったそうです。テレビで試合を見ていて、自信なさげな小林に我慢ならなかったのでしょう。小林が正捕手に定着することがチームにとってどれだけプラスか。慎之助には分かっているのです」(チーム関係者)
その後も阿部は小林に対する叱咤激励を惜しまなかったが、対照的に原監督の小林に対する興味も正捕手育成の意欲もどんどん薄れた。開幕3試合目にして相川にスタメンマスクをかぶらせると小林の出場機会は激減。5月20日には二軍行きを命じ、約2カ月も一軍から声がかかることはなかった。