<第3回>優良企業を退社 退路を断って陸上の世界に舞い戻った
正月の箱根駅伝、今月12日の出雲駅伝を制し、強豪校としての風格を漂わせている青山学院大駅伝部。しかし、2009年の箱根駅伝に復活出場を果たすまでに33年もの空白の時があった。原晋監督に青学大就任当時の苦労話を語ってもらった。(取材・構成=和田悟志)
04年、青学大OBで世羅高(広島)の後輩が仲介役となり、原監督に青学大との縁が生まれた。
優良企業・中国電力のサラリーマンという安定した人生を放り投げ、退路を断ってまで10年ぶりに陸上の世界に舞い戻った。原監督は、青学大に対して「3~5年で箱根駅伝に出場。5~9年でシード権を獲得。10年目には優勝する」というビジョンをプレゼンの形で示した。敏腕ビジネスマンの視点をもとに段階的に目標を引き上げていくプランを練っていたのだ。
しかし、当時のチーム状況は想像以上に厳しいものがあった。競技力うんぬん以前に、選手の生活習慣に問題があった。
寮の自室にパチンコ台を持ち込む者、深夜に無断外出する者、夜更かしに朝寝坊……。そんな自堕落な生活では練習に支障を来すだけ。「早ければ3年で箱根出場」ともくろんでいたが、就任1年目の予選会は16位。翌年の13位を挟んで3年目には再び16位に沈んだ。