<第3回>優良企業を退社 退路を断って陸上の世界に舞い戻った
当時は9位まで本大会に駒を進めることができた。しかし、目の前には深い溝が広がっていた。
「甘い考えでした。3年目の予選会で敗退した時は、新入部員がやめてしまったり、思い出したくもない出来事の連続でした」
一時はチームも空中分解の危機に瀕していた。そんな状況で3年契約の嘱託職員としての期限も最終年を迎えた。
「契約が継続されるかどうか、微妙だったと思います。でも、4年生たちが『たとえ足が折れてでも原監督に付いていきます。最後まで一緒にやらせてください』と言ってくれたのです。本当にうれしかったですね」
原監督の熱意は選手に確実に伝わり、4年目も監督続行が正式に決まった。原監督が“伝説の主将”と今でも称える檜山雄一郎がリーダーシップを発揮。08年箱根出場をかけた予選会では、当時の制度(関東インカレの結果をポイント化してタイムを減算)に泣かされて次点に終わったが、箱根路に十分に手が届く位置にまで上がってきた。
その08年箱根駅伝で原監督は、大学駅伝界に大きな功績を残した。