青木功が手本 日本人選手が世界と互角に戦うには「飛ばし」より「正確性」
全米オープンで青木功が帝王ジャック・ニクラスと激しく優勝を争って惜しくも2位になったのは1980年であるから、36年も昔のことだ。
「これなら近いうちに日本人のメジャー制覇をこの目で見届けることが出来そうだ」と思って、翌年のメリオンGCから、14年前に病気で倒れるまでの2…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,048文字/全文1,188文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】