熱血右腕オリ1位・山岡泰輔は父との自宅練習で才能開花
製薬関連の仕事をしている父・秀治さんにそのことを聞くと苦笑いしながらこう言った。
「母親(幸枝)は冷静なんですが、私も子供のころはすぐにカッとなる性格でしたから似とるかもしれません。ソフトボールをやっているときは妻がグラブに『平常心』と書き、高校の時は、自分でグラブの内側にスマイルマークの刺繍を入れていました」
秀治さんは「男の子が生まれたらキャッチボールをやるのが夢だった」という。そして、野球を始めたらポジションは投手か捕手をやらせたかったそうだ。
「投手や捕手は相手打者との駆け引きがおもしろいですから。小学校の時は体が小さいので投手は難しいと思っていましたが、小4の時に保手濱監督に教えてもらってピッチングの楽しさを知ったんかなと。そこは感謝しています」
■強い学校を倒す
山岡の自宅は秀治さんの両親と一緒に暮らす2階建ての2世帯住宅だ。
「庭は車が4~5台ぐらい置ける広さです。そこでバドミントンの羽根をバットで打ったり、正規の距離(18・44メートル)からのピッチング練習もやりました。泰輔は体も小さかったですし、中学時代はプロ野球なんてまったく頭にありませんでしたが、小学校のころからそこそこ結果を出してきたので私の方もおもしろくなって練習に付き合ったものです」