独立リーグ「BC新潟」のフロントに異例の転身をした理由
巨人から戦力外通告を受けた昨年、合同トライアウトを受験したものの、オファーはなく引退を決断。「故郷に恩返しがしたい」と独立リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(BC)の「球団社長補佐」に就任した。ネクタイを締めて駆け回ったこの1年などを振り返った。
――昨年、巨人から戦力外通告を受けた。
「前半戦は2試合出ただけで、そこから一軍に呼ばれなかったので、覚悟はしていました。ドラフトでジャイアンツに3位で指名されて、みんなが喜んでくれたときから、どこかで辞める日がくるとは考えていた。昨年は確率が高いと思っていたんです。球団は何らかのポストを用意してくれたみたいで、正直、うれしかったですね」
――それでも現役にこだわってトライアウトを受験した。
「息子のためにしがみついてでもやってやろうと。幼稚園の年長の時(2015年)キャリアハイだったんですけど息子はあまり覚えていない感じで、だからあと1年はやりたいと思ったし、まだ通用すると確認したかった。トライアウトの舞台は甲子園。緊張しましたね。巨人のトレーナーの方に『手首にテーピング巻くだろ? ホットクリームも持っていけ』って持たせてもらったり。最後までありがたかった」