独立リーグ「BC新潟」のフロントに異例の転身をした理由
――その後は?
「知らない番号から電話がきて。(新潟の)社長が(甲子園に)来てるからと。そこで名刺を頂きました。18歳で東京に出てきて野球しかやっていない。『新潟って酒がうまいよな』と言われても知らない自分がいる。故郷の新潟・聖籠町で野球教室をやったんですが、ボクが聖籠中3年の時、元中日監督の高木守道さんが来てくれて、そこでプロになりたいと感じた。この中に、あの時のボクと同じように思ってくれる子がいればうれしいなと。5年も10年も経ったあとじゃ太ってしまって『誰だ? あのオッサンは?』と。カトケンと分かってもらえないかもしれない。新潟の子供にきっかけというか恩返しがしたかった」
■スポンサー入社式であいさつ
――新潟入りの経緯は?
「新潟の球団の方からは最初、『選手をやりながらコーチなどはどうですか?』と。ボクは『NPB以外なら引退します』と言いました。現場だと今までと一緒。NPBでないなら、潔く引退して家族との時間をつくりたいというのもありました」