久保裕也<2>「細くても強くなる」と欧州挑戦で気付いた
18歳だった京都時代の2011年天皇杯の準決勝。MF中村俊輔(現磐田)擁する横浜M相手に1得点1アシストの大活躍を見せ、「新たなスターFWの誕生」と日本サッカー界を騒がせた久保裕也(ヘントFW)。19歳でスイス1部ヤングボーイズに移籍したが、初の海外挑戦は苦難の連続だったという。「海外そのものに馴染むのに本当に苦労した。試合にも出られるようになって少しずつ前進したかな」と述懐する久保の欧州挑戦を振り返る。
単身で最初に赴いた町ベルンは、ドイツ語圏である。久保は、自宅のリビングの壁一面にドイツ語の単語を貼り、語学習得に取り組んだ。「覚えるのには使うのが一番と思いましたが、貼っとけば覚えるかな? という感じ」。部屋の窓にはカーテンもかけず、服はあるものを着回し、ストイックにサッカーを追い求めたのは間違いない。
「実は一度、カーテンを買いに行ったんですよ。でも窓がメッチャ大きくてカーテンの横幅が足りなかった。意味をなさなかったんで外した。それが真相です。服を買わないのも、モノを増やすと片づけられなくてゴミ屋敷みたいになるから。それが嫌なんで」と本人は苦笑いするが、同じ山口出身で京都、リオ五輪代表のチームメートだった原川力(鳥栖MF)は「当時の裕也はサッカー一色だった」と集中力の高さに脱帽していた。