元マラソン選手の松野明美さん 熊本県議になった理由とは
■有森裕子さんを恨んだことも……
さて、植木町(現・熊本市北区)の兼業農家に生まれた松野さんは、小5の時に出場した市内のマラソン大会で優勝したことをきっかけに長距離走に目覚めた。
全国的に注目を浴びたのは、高校卒業後に入社した地元スーパー・ニコニコドーの女子陸上部に所属して出場した1987年の全日本実業団対抗女子駅伝。第4区に出走するや、当時の第一人者・増田明美を含む12人をゴボウ抜き。「新星現る!」とマスコミにもてはやされた。
その後、マラソンに転向。92年1月、バルセロナ五輪代表選考レースを兼ねた大阪国際女子マラソンで2時間27分02秒の好記録で2位に。内定していた小鴨由水と山下佐知子に続く、最後の代表選手枠を有森裕子と争うことになった。
当時を知るスポーツライターはこう言う。
「有森は、国内選考レースに一度も出場していなかった。対する松野は実績を残している。ところが『有森の方がバルセロナ特有の暑さに強い』との異論が日本陸連内から出て、結局、選ばれたのは有森。選考過程が不明瞭で、判官びいきになりがちなマスコミの論調もあり、松野の落胆がクローズアップされました」