ソフトB1位・甲斐野央がかなえた「父のもうひとつの夢」
「とにかくじっとしていない子で、いつも野球をして遊んでいました。ただ、私はデザイン関係の商社、妻の映子は市役所勤めの共働き。お兄ちゃん2人は年が離れているでしょう。だから、ティー打撃ができるネットとティーマシンを庭に用意してやると、放課後はずっと打ち込んでいましたよ。あとは、近所の工場で壁当て。当時はあの壁がキャッチボールの相手でした。ボールがすっぽ抜けて工場倉庫のガラスを割ったことも何度あったか……。工場は『またか!』という反応でした(笑い)」
■性格は天然
長男と同じ東洋大姫路に進んだ甲斐野は、2年夏の県大会決勝進出が最高成績。夢かなわず、東洋大に進学した。東洋大の高橋前監督が言う。
「高校では三塁と投手だったので、入学直後は主に野手起用。3年になってから本格的にリリーフで投げるようになった。本当は先発で大きく育てたかったんですが……。性格は天然で、どこかズレたところのある子。よく僕に『集中しないでどこ見てんだ!』と怒られてました(笑い)」
甲斐野がドラフト候補として名前が挙がり始めたのは3年の秋季リーグ。5勝1敗、防御率2・06の成績を残し、ベストナインと最優秀投手に選ばれた。その時、父にかけたのが冒頭の言葉だ。