実に45発…試合中のベンチ裏に鳴り響いた生々しい殴打の音
当時を知る中日OBがそう言って続ける。
「監督もまだ40歳になったばかりで、血気盛んでしたからね。今でも強烈に覚えているのが、ある先発投手が序盤に大量点を奪われた試合です。監督は打者から逃げることがなにより嫌いでしたから、四球を連発したその投手のピッチングに我慢がならなかったのだとは思う。球審に投手交代を告げに行くと、戻ってきた投手を『こっちへ来いっ!』とベンチ裏に呼び出すや、すぐにバッチーン、バッチーン、バッチーンと生々しい音が聞こえてきた。それが、いつまでたっても鳴りやまない。その数、実に45回。つまり、45発も殴られたわけです。なんで数を知っているかと言えば、そういうことに慣れっこだった先輩選手がベンチで指折り数えて、みんなに教えてくれたから。壮絶でしたね」
■それを反面教師にした落合監督
そんな星野野球を反面教師にし、初の監督業でまず暴力排除を旗印に掲げた落合中日は8年間で1度の連覇を含む4度のリーグ優勝を果たした。
そんな落合氏でも、18年に出演したNHKのスポーツニュース番組で、「暴力を一掃するまで丸5年かかりました。本当にこの監督、コーチは暴力をやらないんだ、と選手に自覚してもらうのに5年かかった」と語っている。少なくとも中日にはつい10年前まで、選手が指導者の暴力に怯え、顔色をうかがい、ビクビクしながらプレーする環境があったわけだ。