仮設だらけだった天皇杯決勝 新国立競技場で感じた“無力”
天皇杯サッカー(第99回全日本サッカー選手権)の決勝戦が、6年ぶりに<国立競技場>に戻ってきた。もちろん会場は<新国立>である。
令和2年1月1日。恒例の元旦決戦となった神戸ー鹿島戦は、オンライン事業を幅広く展開する楽天(神戸)とフリマアプリの大手メルカリ(鹿島)との対戦でもあった。
Jが発足する前の天皇杯のタイトルは東洋工業(広島)、ヤンマー(C大阪)、三菱重工(浦和)、日立製作所(柏)、ヤマハ発動機(磐田)、日産自動車(横浜M)、松下電器(G大阪)など日本の重厚長大系の基幹産業が争ってきた。時代が令和に変わり、Jリーグの経済的な勢力図にも変化が起きようとしているのかも知れない。
変化といえば……かつての<旧国立>と言えば、明治神宮で初詣を済ませた羽織、袴姿のファンも目に付いた。ところが6年ぶりの新国立には、普段着姿のファンが多かった。「昭和は遠くに去りにけり」と言ったところだろう。
さて元旦の旧国立というのは、取材記者やカメラマンにとって、普段はカジュアル(みすぼらしい?)な恰好をしていても、やはり新年なのであらたまった気持ちになり、滅多に着ないジャケット、スラックス姿で出向いて<年始回り>を済ませる場でもあった。
筆者がサッカー専門誌の記者だった昭和の時代は、旧国立のメインスタンド下にあったミックスゾーン、トラックなどで顔なじみの記者やカメラマン、さらには日本サッカー協会の職員といった旧知の面々とすれ違うたびに新年の挨拶を交わしたものである。
新国立での決勝は、神戸がFW藤本憲明の2ゴールに絡む活躍で初のタイトルを獲得した。鹿島は2トップの伊藤翔とセルジーニョが押さえ込まれ、決定機は後半12分の一回だけ。MFレオ・シルバは、神戸MFイニエスタから何度かボールを奪取するなど孤軍奮闘したが、チームを勝利に導くことはできなかった。
FWポドルスキーを筆頭にイニエスタ、FWビジャら大型補強をした神戸の先行投資が報われ、今後はJの他クラブの指針になることを期待したい。鹿島については、シーズン中にMF安部裕葵やFW鈴木優磨など主力選手を失いながらも決勝に進出したことに伝統の底力、重みを感じないではいられなかった。2日には、元柏で活躍したブラジル代表DFザーゴの新監督就任を発表、新外国人助っ人の補強にも抜かりはない。