追悼・福薗好政さん 井筒3兄弟長兄の元十両「鶴嶺山秘話」
16日、元十両鶴嶺山の福薗好政さんが3月28日に急性心不全で死去していたことが明らかになった。享年60。四十九日が過ぎるまでは公表を控えていたという。
鶴嶺山は先々代の井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)の長男として生まれ、次兄は先代井筒親方(元関脇逆鉾)、三男は錣山親方(元関脇寺尾)。井筒3兄弟として知られていた。
度重なるケガに悩まされて幕内昇進はできず、1990年に引退。翌91年に亡き実母の旧姓を名付けた「相撲茶屋 寺尾」を開き、自ら包丁を振るってお客さんをもてなしていた。
ある角界OBは「照れ屋な人でね」と、こう続ける。
「井筒3兄弟の長男ということで取材の依頼も多かったそうだが、大半は断っていた。寺尾が04年に独立して錣山部屋を創設したばかりの時は、店の経営と並行して、ちゃんこを作りにも行っていた」
さらにこのOBは「多少、推測は入るけど」と、こう続ける。
「寺尾は当初、相撲取りになる気はなかった。大のお母さんっ子で、子供の頃はしょっちゅう甘えていた。それが相撲取りになると、母と子ではなく、おかみと弟子、という関係になってしまう。それでも高校入学後から始めた相撲にのめり込み、将来は力士になろうと思い始めた。そんな寺尾の角界入りに反対していたのが、お兄さんの鶴嶺山。井筒部屋は猛稽古で知られていたし、何より我が子全員が“弟子”になれば母も悲しむ……と思っていたのかもしれない。お母さんも力士(元幕下加賀錦)の娘だからね。結局、寺尾が父の弟子になるのを決めたのはお母さんが亡くなってから。この時は鶴嶺山も『相撲取りになれ』と諭したそうだ」
天国で母に、「アビ(寺尾の幼少期の愛称)は立派な力士になったよ」と報告しているかもしれない。