芸能人と違う 不倫が瑕疵にならない阪神・西勇輝の商品性
渡部建は佐々木希と結婚したからこそブランド価値が向上したという面は拭い去れず(それがなかったら多くの中堅芸人の中の一人でしかなかった)、東出昌大もまた、杏と美男美女夫婦を形成していたからこそ、俳優業はともかくとして好感度重視のCM仕事が増えた面はあったはずだ。木下優樹菜に至ってはそもそも私生活こそが最大の商品であったため、プライベートの不祥事はそのまま商品の瑕疵になってしまう。
しかし、西の場合、彼が稼ぐ2億円(推定)もの年俸や、彼のインスタグラムを支える14万人近くのフォロワーのほとんどは、西の私生活公開によるたまものではない。野球で見せるプレー(ピッチング)こそが西の最大にして唯一の商品であるため、そのプレーに瑕疵がないのならファンは私生活の不祥事なんて気にならないのだろう(犯罪は別だが)。要するに、不倫問題でしばしば語られがちな「しょせんは当事者問題」という本質的論点から逸脱するほどの周辺要素がないのだ。
そう考えると、文春砲の喧騒の中で西が演じた完投劇はその商品に瑕疵がないことを世間に証明する一番の好手だったわけで、それを成し遂げた西の精神力と底力はすさまじいものがある。あそこで打たれていたら、まちがいなく批判の声は大きくなっていたことだろう。スポーツ選手にとっての最大の火消し薬はスポーツの結果なのだ。
その点、芸能人の場合は本業の結果、つまり芸人ならネタの評価、役者なら演技の評価も、スポーツの試合結果に比べると恣意的な解釈を含む曖昧な評価になってしまうから厄介だ。スポーツは本当にわかりやすい。