追憶のマラドーナ 90年W杯ブラジル戦で見せた一瞬の輝き
マラドーナがメキシコのアステカ・スタジアムで優勝トロフィーを掲げてから4年。1990年W杯の舞台は、前々回の82年スペイン大会の覇者で3度の優勝を誇るイタリアに移った。
W杯取材が2度目となる筆者はイタリア現地取材に加え、同僚の記者やカメラマンをどのカードに割り振るのか、デスク的な役割も担うことになった。
開幕戦はミラノ。決勝戦はローマ。試合会場のエリアをざっくり区分けするとグループC(本命はブラジル)はミラノ、トリノ、ボローニャ、ジェノバ、ベローナといった都市で開催され、グループD(同西ドイツ=当時)やグループE(ベルギー、スペインなど混戦)とともに北部エリアで行われた。
あの頃のW杯のグループリーグは、近隣の2都市(2会場)で全6試合が行われていた。
98年フランス大会からプラティニ大会組織委員長の「同じ国ばかりではなく、違う国の試合も見られるようにしたい」という理由から広範囲に各都市を巡回するようになり、現在も続いている。
グループA(同イタリア)とグループB(同アルゼンチン)はローマ、フィレンツェ、ナポリ、バーリで開催され、こちらは南部という位置付けだった。ちなみに同エリアは、地理的にはイタリア中央部ということになるが、現地で感じたのは「ローマから南はアフリカ(大陸のようなもの)」という考えがイタリアでは一般的だった。