1983年に始まった日本サッカー界初「茶話会」に思い馳せる
1984年ロス五輪のアジア予選で惨敗をした当時、日本サッカー協会(JFA)は、原宿にある岸記念体育館内の3階にあった。JSL(日本サッカーリーグ)事務局も、同じ301号室の片隅で〈細々と〉運営されていたが、1983年にJSL事務局だけが、小川町にあるビル(三菱重工の持ち物だった)の2階に移った。
事務所移転に際して、JSL事務長だった木之本興三さん(元Jリーグ専務理事などを歴任。2017年逝去)が最初に取り組んだ仕事というのが、「翌1984年に創設20周年の節目を迎えるJSLの記念事業に何をするのか?」だった。
紆余曲折を経て釜本邦茂氏の全裸ヌードポスターを作り、世間の大きなインパクトを残した。その打ち合わせのためにプロジェクトのメンバーだった三菱の藤口氏(後の浦和レッズ社長)、日産の佐々木氏(後にJリーグ広報部長)、読売クラブの佐藤氏(後にヴェルディ川崎、浦和、神戸などで広報やGMを歴任)らが中心となり、サッカー談義に花を咲かせたのが「茶話会」だった。
同会には古河(現千葉)、日立(現柏)、フジタ(現湘南)、ヤンマー(現C大阪)、ヤマハ(現磐田)といった当時のJSLに所属していたチームの広報担当者が加わるようになる。