桑田真澄に“鬼と仏”の二面性 PL学園、巨人時代の後輩語る
橋本氏がKOされた試合後にかけられた言葉
そんな橋本清氏がしかし、巨人時代に桑田補佐を「怖い」と感じたことがあったという。1993年、橋本氏がセットアッパーとしてチーム最多の52試合に登板した全盛期のことだ。
「シーズンが終盤にさしかかった8月の中日戦でした。1点リードで迎えた七回にボクが同級生の立浪に逆転本塁打を浴びた試合後のことです。チームの白星をフイにしたショックで不覚にもロッカールームで涙を流していると、斎藤雅樹さんら先発陣が次々に『ハシ、気にするなよ。これまでおまえに何勝もさせてもらってるんだ。切り替えよう』と声をかけてくれた。そこへ、『やっぱり、しっかり練習せんとな』と冷たい声が降ってきた。バスタオルで覆っていた顔を上げると、厳しい表情の桑田さんが立っていたのです」
52試合に登板した橋本氏の防御率は1.83。長嶋茂雄監督に「勝利の方程式」と持ち上げられ、自信が過信になりつつあったかもしれないと振り返る。
疲労もたまりにたまって、試合前の練習で例えば10本のダッシュを8本でやめることもあったという。
「そういうボクの姿を桑田さんはすべて見ていたのです。桑田さんの目には、やるべきことをやっていないと映っていたのだと思う。泣くくらいなら、もっと練習しろと言われたような気がしました。桑田さんにはよくこう言われました。『オレだってつらい練習なんかしたくない。もしハシくらいの上背があったら、もしキヨ(清原)くらいの体格があったらとつくづく思う。体の小さなオレがそういう人間に勝つには、練習するしかないやろ』と。何が必要かを自分で考え、それを愚直にこなすことで肉体的ハンディを克服してきただけに、やるべきことをやらない選手には厳しい。決して甘くはありません」(橋本氏)
巨人の選手は仏の顔だけ見ていたら痛い目に遭う。