桑田真澄に“鬼と仏”の二面性 PL学園、巨人時代の後輩語る
巨人周辺がいまだにザワついている。
突然の入閣で15年ぶりに古巣巨人への復帰が決まった桑田真澄投手チーフコーチ補佐(52)。さっそく、「たくさん走って、たくさん投げるという時代ではない」と前近代的な練習を否定、「スポーツ科学の発展で解明されてきたことをフル活用したい」と独自の指導方針を開陳すると、「なにを言っとるか!」と語気強く異論を唱えたのはOBの張本勲氏だ。
「こういう若い人(指導者)がどんどん出てきてくれなきゃ。(しかし)気に入らないのは、たくさん走ってたくさん投げる時代じゃない? そんなこと言っちゃダメだ。練習は徹底的にさせなきゃダメ。科学的にやるんだったら東大生が全部うまくなるわ」
そう言って、情報番組の自身のコーナーで“喝”を入れたのだ。
異例の時期に実現したビッグネームの入閣に、球界OBやチーム関係者もウの目タカの目。皮肉を込めて、「現役時代から合理主義。高卒1年目の春のキャンプでいきなり『きょうはノースローにします』と言ったくらいだからね。量より質という考え方は、今の時代に歓迎されるとは思う。ラクだし、選手に好かれる指導者にはなるんじゃないの」とコーチ経験のあるOBは、「お手並み拝見」とニヤリである。
■「PL時代は『天使』『仏』」
PL学園、巨人の後輩にあたる評論家の橋本清氏が、「桑田さんとは高校時代からのお付き合いですが、常に穏やかで優しい先輩だったのは確かです」とこう続ける。
「PL学園時代、後輩の間では『天使』と呼ばれていました。当時のPLは全寮制で先輩と後輩の間には厳格な主従関係があった。1年生の頃は、同級生の誰かが粗相をするたびに、2年生から寮の大広間や勉学室に集められ、連帯責任で説教を受けた。1時間、2時間と床に正座をさせられ、先輩から厳しい指導を受ける。1年生からすれば地獄のような時間でしたが、そんなとき2学年上の桑田さんが大広間に顔を出し、『そのへんでいいんじゃないの。そろそろやめてあげたら』と2年生を優しくたしなめてくれるのです。3年生、特に桑田さん、清原和博さんはボクたち1年生はもちろん、2年生からしても雲の上の神様のような人。高校球界を席巻していたKKコンビの桑田さんから、『やめてあげたら』と言われたら、2年生が説教を続けられるわけがない。当時の高校野球部では当たり前だった上下関係を否定するような先輩は桑田さんだけだった。声を荒らげて怒るような姿を一度も見たことがない。『天使』『仏』のような方でした」
当時のPL学園の寮は4人1部屋で、1年生は1人。1年生が先輩の身の回りの世話をすべて担当し、自室では「ラクにしてええぞ」と言われるまで正座でいるのが基本だった。しかし、桑田の部屋では1年生の立浪(和義氏=元中日)が布団の上で休んでいる。身の回りのことは自分でやるから、桑田部屋の1年生は圧倒的に仕事が少なかったという。