ポルトガルに渡ったMF守田は代表主力へ千載一遇のチャンス
同年9月には、森保日本発足初戦のコスタリカ戦(吹田)で追加招集され、日本代表デビューを飾った。
トントン拍子にトップレベルへ到達しようとしていたが、19年1月のアジア杯(UAE)でまさかのアクシデントに見舞われる。
現地入り直後の練習で好プレーを連発しながら、突如として右太もも裏に違和感を訴えて離脱。肉離れで全治6~8週間の重傷を負ったのだ。
結局、日本は大会中に青山敏弘(広島MF)と遠藤航(シュツットガルトMF)が続けざまに負傷。「ボランチ難」が災いして王者をカタールにさらわれる形となった。 守田してみても、悔やんでも悔やみきれない結果だったはずだ。
この年の6月には、携帯電話使用の道交法違反。運転免許失効も判明するという社会人らしからぬミスも発覚した。
20年はコロナ禍で国内組は選外。2年以上の月日が経ってしまった。
「初代表がプロ1年目だったけど、一度そこでプレーするとそれが基準になる。去年はコロナ禍でしょうがない部分もあったけど、自分が再び呼べることを目指してずっと頑張ってきた。海外移籍して活躍して呼ばれたことを名誉だと思います」