エラーしたとき村田兆治さんは怒るどころか励ましてくれた
外野のフェンス沿いを黙々とランニングする姿が、一番印象に残っている。
独特のマサカリ投法で通算215勝を挙げたロッテの大エース・村田兆治さんのことだ。
私がプロ入り2年目の1983年、村田さんはアメリカで以前から痛めていた右肘を手術した。2年間のリハビリを経て85年に17勝をマーク。日本球界で初めて「トミー・ジョン手術」で復活を遂げた。
村田さんは手術前後に二軍で調整しているときも、手術から復活した後も、とにかく走っていた。マサカリ投法で投げるためには走り込んで下半身を鍛えないといけないという。フォークを投げるために指も常に鍛えていた。村田さんほどの大選手が誰より練習をするのだから、他の投手はもちろん、私を含めた野手も大いに刺激を受けた。
村田さんが投げる試合で初めて二塁を守ったときは、背番号29の後ろ姿から漂うオーラに緊張すると同時に胸が躍った。私がプロ入り前に所属していた国鉄鹿児島鉄道管理局時代、同じ鹿児島でキャンプを行っていたロッテの紅白戦を見学したことがある。有藤通世さんや村田さんのプレーを羨望のまなざしで見ていたからだ。