1982年来日 韓国初のプロを率いた老監督との邂逅<下>
筆者は「韓国は日本よりも強い。いつかW杯にも五輪にも出られるでしょう」とお世辞半分で答えた。心の中で「日本はW杯なんて無理だから、とりあえず五輪出場に全力を尽くすしかない。そのための切り札として森孝慈さんが監督になった」と思いながら‥‥。
金監督は、若輩の日本人サッカー記者に対して「プロ化の必要性というのは、W杯に出場することはもちろんだが、サッカー先進国の欧州や南米に追いつくためのもの。プロ化しないとアジアはますます(世界から)離され、追いつくことができなくなる」と将来を見越しながら、何度も何度も繰り返した。
あの眼光の鋭さとたぎるような熱き思いは、今もって忘れられない。
思いがけない金監督独占インタビューは、サッカーダイジェスト誌で2ページの特集記事となった。会社の上司だけでなく、フリーのベテラン記者からも、お褒めの言葉をいただいた。
ハレルヤと読売クラブとの試合には、2万2000人の観衆が集まった。
Jリーグ発足の10年以上も前のことだが、プロ化への関心がサッカーファンの間でも高まっていたのかも知れない。