1982年来日 韓国初のプロを率いた老監督との邂逅<下>
試合はハレルヤが2ー1で勝利した。試合自体は、それほど面白いものではなかったが、読売クラブの個々の選手の技術の高さは、ハレルヤの選手を上回った。
しかしながら、スピードとフィジカルコンタクトを武器にハレルヤは、読売クラブの長所を消してきた。
相手のストロングポイントを出させないようにしながら、プロとして<勝つサッカー>をハレルヤは実践して見せたのである。
金監督は1910年に北朝鮮で生まれ、当時すでに72歳だった。
彼が生まれた年、日本は朝鮮半島を併合する。
金監督は25歳の時、全京城(現在のソウル)蹴球団の一員として天皇杯に参戦し、優勝メンバーの一人となっている。
スピードスケートの選手としても全朝鮮大会に出場し、1500メートルと1万メートルで優勝したという。抜群の運動神経の持ち主だったのだろう。
1936年4月。ベルリン五輪の日本代表メンバーに選ばれた。全京城蹴球団から、ただ1人の選出だった。