元日本陸連副会長・帖佐寛章氏が激高「今回の東京五輪は最悪だ!」
コロナ禍でのオリンピックが閉幕して1週間が過ぎた。元日本陸連副会長の帖佐寛章氏は1960年ローマ大会から2004年アテネ大会までは陸上コーチや役員として現地へ入った。それ以後はテレビで観戦。日本選手の応援だけでなく、メインスタジアムのつくりやスタッフの動きなども気にしながらの観戦を続けてきたという。「五輪のことはいろいろ知っているし、今回は母国開催なので水を差したくないから黙っていたが、時間が経ったのでもういいだろう。今回のオリンピックは最悪だ!」と声を荒らげる。何が問題だったのか。
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■シンボルの聖火は邪魔の扱い
「まずは開会式だ。聖火台は富士山をイメージしたというが、言われなければ白いケーキに見える。あれはデザインした者が悪いのではない。そもそも国立競技場に聖火台をつくらなかったわけだからな。富士山は日本の象徴だし、簡単に撤去することも考慮したのだろう。だが、ご存じのように聖火とは、ギリシャ・オリンピア遺跡の太陽光で採火された炎をギリシャ国内と開催国内をリレーして開会式までつなげる五輪のシンボルだ。今回はコロナ禍で変則リレーになってしまったが、聖火がシンボルであることに変わりはない。その聖火は開会式の後どこへ行ったか。国立競技場から臨海部にある聖火台に移された。セレモニーが終われば邪魔になるのだろう。旧国立は2014年5月末に56年の歴史に幕を閉じた。新国立を建設する際、聖火台はつくらなかった。大会後は年間維持費などが約24億円かかるというので、収益面を考え、陸上トラックも撤去し、球技専用スタジアムにすることが17年に閣議決定された。だから日本人初の五輪金メダル(三段跳び=1928年アムステルダム大会)を獲得した織田(幹雄)さんの偉業を称えた織田ポール(優勝記録15メートル21センチのポール)も当然ない。五輪のメイン会場で陸上大会が開催できず、聖火台もない。そんなバカな話があるか。今回の五輪は開幕前から64年の東京五輪の聖火台に点火するシーンが何度もテレビに映し出された。感動のシーンを覚えている昭和生まれの人は多いだろう。今回の点火シーンを50年後に見る人に印象を聞いてみたいもんだ」
国立競技場のトラックについては昨年10月、世界陸連のセバスチャン・コー会長が来日した際、25年の世界陸上を国立競技場で行うことを提案し、残すことになりそうだ。
「その話を聞いて、ぜひトラックを残して欲しいと思った。コー会長は91年の世界陸上・東京大会の成功を高く評価している。その大会の運営本部長は私だった。五輪を開催した国立競技場は陸上の聖地にならんとおかしいだろ。関係者は都合のいいようにレガシーという言葉を使っていたが、聖火台の件にしろ、陸上トラックを撤去する方針だったこともそうだ。この国はまだまだスポーツ後進国だ」(つづく)
マラソンの札幌移転は愚策
1960年ローマ大会から2004年アテネ大会まで陸上コーチや役員として現地へ入った帖佐氏は、「五輪の華」といわれるマラソンの会場を札幌に移転したことにも怒りをあらわにする。
「ロードレースの話をする前に選手村について少し意見がある。コロナの感染対策のため、選手たちは競技開始5日前からしか選手村に入れず、競技終了後は2日以内に退去した。異国の選手同士が交流できるのが選手村だ。友好も深まるし、お互いのこと、相手国のことなどを理解しあうことが平和な世界にもつながる。コロナでほとんど交流できず残念だったが、クラスターが発生しなくてよかった。ボランティアの人も厳しい環境の中で本当によくやってくれた」
ここからは表情と口調がガラリと変わる。
「競歩は男子20キロで池田向希が銀メダル、山西利和が銅メダルを獲得した。スタート時の午後4時30分の気温は31度、湿度63%。猛暑の中よく頑張った。午前5時半開始の50キロでは川野将虎が6位入賞を果たすも、暑さで内臓をやられてしまい嘔吐し、一時は倒れ込んだ。マラソンの服部勇馬もゴール直後に熱中症で医務室へ運ばれた。深部体温が40度以上に上昇した重い症状だった。19年世界陸上(ドーハ)50キロ競歩金メダルの鈴木雄介は疲労が抜けず五輪代表を辞退した。酷暑のレースで内臓を痛めたのだろう。札幌は東京より5度以上も涼しいからと、IOC(国際オリンピック委員会)は2019年10月、突然会場変更を言い出した。有無を言わさずの変更に小池(百合子)都知事は反論するため、知恵を貸して欲しいと私を都庁に呼んだ。IOC幹部は8月の札幌を知らなかったのだろう」
最終日に行われた男子マラソン(午前7時スタート)は出場106人のうち30人が途中棄権する過酷なレースとなった。前日の女子マラソン(88人中15人が棄権)は猛暑を考慮して前夜にスタート時間が7時から6時に繰り上げられた。
「前代未聞だよ。これはコロナとは無関係だ。すでに眠りについた後にスタート時間の変更を知らされた選手もいたというから、信じられない話だ。私は朝6時スタートならマラソンは東京でも走れると言ってきた。暑さを避けるために札幌に移転したが意味はなかった。マラソンは開催都市を巡り、メインスタジアムにゴールするから五輪の華なのだ。北海道大学の中をぐるぐる回って、東京五輪といえるのか。見ている人も違和感があったはずだ。24年パリ大会、28年はロス大会だ。欧米も夏は暑いぞ。パリもロスも40度を超えたことがあっただろ。真夏の北半球で絶対に五輪ができないとはいわないが、選手の体調面を考え、実力を発揮してもらうためにも8月下旬以降の開催がいい。9月になれば体に感じる風も変わってくる。IOCはテレビ視聴率を第一に考え、欧米で大きなスポーツイベントがない今の開催時期を動かす気はないだろう。『選手ファースト』が聞いて呆れるよ」