西武・森監督にいきなり「競馬が好きらしいが選手に悪い影響を与えるなよ」と釘を刺された
■デーブ大久保とのトレードで西武ライオンズへ
すると翌92年5月、西武との交換トレードを通告された。交換要員は西武の「デーブ」こと大久保博元だった。当時のイースタン記録となる24本塁打、70打点で二軍で2冠。しかし、当時の西武は1985~94年の10年間でリーグ優勝9度と圧倒的な強さを誇っていた。正捕手には伊東勤が君臨。デーブが一軍に入り込む余地はなかった。後で聞いた話によると、デーブが球団にトレードを直訴したそうだ。
かくして3球団目の新天地へ。森祇晶監督にあいさつをすると、いきなりこう言われ、度肝を抜かれた。
「おまえ、競馬が好きらしいな」
「は、はい」
「うちの選手はそういうのはやらないから、悪い影響を与えるなよ」
「……」
冗談かと思ったが、森監督の表情から察するに、どうやら大マジメのようだ。後になって巨人より西武の選手やコーチの方が、よっぽど競馬好きが多いと分かったが、そんな森監督を筆頭に、黒江透修ヘッド兼打撃、伊原春樹守備走塁、森繁和投手コーチらの首脳陣がチームの空気を引き締めていた。それまでの藤田巨人はノビノビ野球だったため、星野中日時代を思い出した。
移籍してすぐ、こう声をかけられた。
「落合(博満)さんに『体の軸で打てるのは中尾さんだけ』って言われたんですよね?」
主砲の清原和博だった。