(2)現場・フロントの世代交代が進む いまや元Jリーガーの強化責任者も
「30年もこの仕事をやってこれたのはみなさんのおかげ。今はホッとしてる。気持ちが楽になった感覚はありますね」
常勝軍団・鹿島を築き上げた敏腕強化担当・鈴木満フットボールダイレクター(FD)が2021年末に退任した。
前身の住友金属工業サッカー部時代からチームに関わり、ジーコとともに強化を推進。20のタイトルを獲得してきた人物が第一線を退くというのは日本サッカー界にとって大きなニュースだった。
かつて柏や名古屋などで手腕を振るった久米一正氏(2018年逝去)、2021年1月に強化本部長を退任した川崎の庄子春男エグゼクティブアドバイザーといった90年代からクラブ強化を担った重鎮が次々と去ったJリーグ30年目は、「現場・フロントの世代交代」が色濃く感じられる。
鹿島の吉岡宗重・新FDは43歳。日本文理大から2006年に当時J1の大分入りし、強化の道へ。その手腕を鈴木前FDに認められ、ヘッドハンドされて2011年から常勝軍団に加わった形だ。
「強化担当者会議での発言や行動を見ていて能力があるな、と。自分から大分の社長に直訴して獲得した。10年がかりで鹿島らしさを伝えてきたし、後継者になるのは自然の流れです」と鈴木前FDも太鼓判を押す。
鹿島の場合、2019年にトップに就任したメルカリの小泉文明社長、現在現場の指揮を執る岩政大樹コーチも41歳。同世代で意思疎通がスムーズになるというメリットもあるだろう。
■名刺を配るところからスタートした
彼らに象徴されるように、J発足から30年が経過した今、40歳前後の人間がクラブの舵取り役を担う例は少なくない。同時に元Jリーガーの強化責任者も増えている。
その1人が湘南の坂本紘司スポーツダイレクター(SD=43)だ。
2000~2012年まで看板選手として活躍した彼が、SDに抜擢されたのは2016年。引退後は営業やホーム活動に携わっていたため、他クラブの強化担当やスカウト、代理人との面識は皆無に近かった。
「素人の僕は関係者1人1人に名刺を配るところからのスタートでした」と本人も笑う。もともと真面目な人物で地道に仕事と向き合っていたが、2019年にチョウ・キジェ監督(現京都)のパワハラ問題が発生。彼自身も減給処分を受けるなど、力不足を痛感したという。
「チョウさんは僕の現役最後の監督であり、本当に凄い指導者。強いリスペクトがありました。その気持ちが強過ぎて、思ったことをストレートに言えない自分がいた。SDである以上、監督にも主張しないとダメ。そう感じてからは『自分が現場に一番近い人間なんだから、自分が見えたものに自信を持とう』と心を入れ替えました」
運営規模最小クラブがJ1の地位を守る
こうして5年半が経過した今、周囲からの信頼も強まり、以前よりも堂々と仕事ができるようになった。
その努力の甲斐もあり、2020年売上高が21億8800万円とJ1最小レベルの運営規模のクラブが、5季連続でJ1の地位を守り続けている。
坂本SDもそうだが、若い世代の強化担当者は情報公開に前向きだ。
特にその傾向が強いのが、浦和の西野努テクニカルディレクター(TD=50)である。
48歳だった2019年の就任時から「2022年にJ1制覇」と明確な目標を掲げ、3年計画を策定。それに合った戦力を補強してきた。昨季もシーズン途中の江坂任や酒井宏樹ら新戦力獲得の際には毎回、選手とともに記者会見に参加。補強意図を説明していた。多くの人々の理解を取り付ける努力を惜しまないのだ。
■ビジネスマン的な立ち居振る舞いができる
彼の経歴を遡ると、2001年の現役引退後、リバプール大学でMBAを取得し、湘南の水谷尚人社長が起業した会社の役員に就任。そこで経営ノウハウを学び、2006年には自らも会社を設立し、放課後デイサービスなど多彩な事業を展開した。
そのノウハウを持って浦和に戻ってきたのだから、ビジネスマン的な立ち居振る舞いができるのではないか。
英国で磨きをかけた英語力やネットワークを駆使し、合理的な選手獲得を行っている点も目につく。昨季はユンカー、アレクサンダー・ショルツという2人のデンマーク人選手をリーズナブルな費用で獲得。最大限の成果を得た。
「国際的なセンスと交渉力というのも、今後の強化責任者には必須ポイント」とJクラブ幹部も話していたが、彼は筆頭と言っていい。
Jが58クラブにまで拡大し、JFLや地域リーグまで含めると全国には100近いクラブがある、 その中から興味深い強化担当者が続々と出現すれば、日本サッカー界の既成概念を取っ払うことができるかもしれない。今後の動向が楽しみだ。(つづく)