日米20球団が雄星と面談 阪神は松坂の甲子園時との比較データを見せて説得した
■ドラフト当日は新花巻駅で待機していたが…
そしてドラフトの日。私は西武の水沢英樹スカウトと東北新幹線の新花巻駅の待合室にいた。当たりクジを引いた瞬間に花巻東にあいさつに向かう段取りで、あらかじめ乗り込んでいたのは2球団だけだった。結局6球団競合の末、当たりクジを引いたのは西武。全身の力が抜けた気がした。スカウトをやっていて初めてのことだった。一緒にいた水沢スカウトに「おめでとう」と言い残し、私は東京行きの新幹線に乗り込んだ。
菊池は2016年に12勝。17年は158キロをマークして16勝で最多勝に輝いた。18年は14勝を挙げてチームを10年ぶりのリーグ優勝に導くと、オフに晴れてメジャー入りを果たした。今思えば、もし阪神に入団していたら、さらに凄まじいフィーバーとなり、とても野球どころじゃなかったかもしれない。
高校3年の秋、心の中ではメジャー挑戦を熱望しながら、周囲の重圧や一部の批判の声などに押されて断念。日本の球団入りの希望を表明した際、会見で大粒の涙を流した。阪神とは縁がなかったものの、私たちが菊池の夢に無理やりフタをしてしまったのではないか──。少なからず、そんな思いがあっただけに、メジャー入りしたときはうれしかった。
最近、各球団で増えている「育成契約」。スカウト時代、「育成でもプロ入りした方がいいのか」とよく聞かれた。これは難しいテーマである。