森保ジャパンの“韋駄天”FW浅野拓磨の「原点」とは 高校時代の恩師に聞いた
樋口士郎(JFLヴィアティン三重トータルアドバイザー/三重・中央工業高元監督)
森保ジャパンの常連FWである浅野拓磨は<2018年5月31日>を決して忘れない。2週間後に開幕するロシアW杯の日本代表メンバーに自分の名前がないことを知った瞬間に「頭が真っ白になった」浅野は、プロのサッカー選手になってから一日も欠かしたことのない<実家への電話>をためらった。苦労に苦労を重ねながら育ててくれた両親に「どう伝えていいのか、まったく分からなかった」からだ。ロシアW杯には予備登録メンバーとして同行。「悔しさがマイナスに働くことは1ミリもない。この悔しさがあるからこそ、次のW杯に向けて気持ちを切り替えることができた」と話していた浅野は、独1部ボーフムでレギュラーFWとして存在感を示し、カタールW杯最終予選でも大事な場面でチームを救う一発を放った。「拓磨よりも<上手なFW>はいます。でも、あれだけ<頼りになるFW>はいません。森保監督も同じ気持ちだと思います」。三重・四日市中央工業高時代の恩師である樋口士郎・元監督(62)に韋駄天ストライカーの原点を聞いた──。
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■凄い選手になると確信
──浅野を初めて見たときの感想は?
「菰野町の八風中サッカー部時代、三重県のトレセンに選ばれていましたし、注目して彼のプレーを見たのですが、何が凄いって並外れたトップスピードを維持しながら周囲の状況を把握でき、さらに相手DFと駆け引きをしながら抜き去ることもできました。中学や高校に<ただ速いだけ>のサッカー選手は少なからずいましたが、拓磨は次元が違いました。『凄い選手になる!』と確信したことを覚えています」
──スピード以外の部分はどうでしたか?
「拓磨が生まれ育ったのは、もともとテクニックを重視する地域だったこともあり、細かい技術や戦術眼といった部分もしっかり身についていました。八風中サッカー部の監督が、たまたま四中工サッカー部のOBだったのですが、彼が基本技術を叩き込んでくれたのも大きかったと思います」
──四中工に入学する経緯は?
「中学3年生を対象にした四中工サッカー部の練習会に拓磨が参加したときに『ぜひ四中工に来てほしい。全国で勝負しよう』という声掛けをしました。拓磨のところは両親と6男1女の大家族ということもあり、経済的な面で(私立と違い特待生制度のない)公立の四中工への進学が難しい状況でしたが、中学サッカー部監督の『プロになるには四中工しかない。両親に甘えるときは甘え、プロになって恩返しをすればいい』という後押しも奏功しました」