森保ジャパンの“韋駄天”FW浅野拓磨の「原点」とは 高校時代の恩師に聞いた

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攻守にフルパワーで貢献

 ──浅野が四中工3年のときにJの広島横浜Mからオファーがあった。

「両チームの練習に参加した拓磨が『佐藤寿人選手のプレーを間近に見ました。広島に入ってお手本にしたいです』と言ってきた。もちろん本人の意思を優先しました。でも、私の弟の靖洋(現JFLヴィアティン三重監督)が当時の横浜Mの監督だったので『ウチに来てほしかった!』と叱られました(苦笑)」

 ──浅野は16年から欧州でプレーしているが、所属クラブで不振に陥っても代表に招集されるので「森保監督は広島時代に師弟関係にあった浅野を特別扱いしている」と報じられることもあった。

「広島枠なんて批判もありましたが、先発でもサブでも攻守にフルパワーで貢献し、大事な場面でゴールを決める<目に見えない力>を持った選手であることを森保監督はきちんと評価していると思います。欧州組になっても向上心を失わない拓磨が、カタールW杯グループリーグでドイツ、スペインといった強豪を相手に必ず結果を残してくれると信じています」

(聞き手=絹見誠司/日刊ゲンダイ)

浅野拓磨(あさの・たくま) 1994年11月10日生まれ。三重・菰野町出身。四中工で高校サッカー選手権に3年連続出場。2年時に得点王となってチームを準優勝に導いた。13年に広島入り。16年に英プレミアの名門アーセナル入り。ドイツのシュツットガルト、ハノーファーにレンタル移籍。19年にセルビアのパルチザンに移り、ELにも出場した。21年からドイツ・ボーフムでプレー。15年8月に日本代表デビュー。身長173センチ・体重71キロ。

樋口士郎(ひぐち・しろう) 1959年9月9日生まれ。三重県川越町出身。四中工3年時に主将として高校サッカー選手権準優勝。卒業後に日本リーグ2部本田技研工業サッカー部。80年に得点王として1部昇格の原動力に。87年に移籍したPJMフューチャーズ(現J鳥栖)でコーチ兼選手。90年に現役を引退。四中工サッカー部を率い、18年に勇退するまで多くのJリーガーを育てた。19年4月にヴィアティン三重の強化部長兼アカデミーダイレクターに就任。現在は三重県サッカー協会・FAコーチを務める。実弟の靖洋氏は山形、大宮、横浜Mなどの監督を歴任して21年11月にヴィアティン三重の監督に就任。

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