IOCバッハ会長は8年前、高橋治之元理事の“追放”を組織委に求めていた
■筆者と同乗していたIOC委員に1本の電話が
それは、14年の6月下旬のことだった。同1月に同組織委が発足したばかりの時期である。私は友人のIOC委員と車中にあった。来日した彼とプライベートな食事を楽しむために車を走らせていた。そこにバッハから電話がかかってきたのだ。
「会長からだ!」と彼がバッハの質問に緊張しながら真摯に答え始める。私は聞き耳を立てた。それは主として竹田恒和IOC委員(当時)のことであった。竹田は日本オリンピック委員会(JOC)の会長でもあり、第9代IOC会長に就任したばかりのバッハにとって、五輪開催地の長の身辺を知ることは重要だっただろう。
■「詳細は調べて改める」
しかし、それは竹田と高橋の関係を問うものでもあった。高橋が組織委理事に選ばれたのはその月の初めだった。執拗に問われた友人は「詳細は調べて改める」と電話を切った。
東京五輪開催が決定した総会で第9代IOC会長に就任したバッハは、オリンピック改革をその所信としていた。中でも五輪招致活動の不正根絶にこだわった。五輪倫理規程を改正し、利害関係者による一切の贈与を厳禁した。この「倫理規程」にも傍若無人であった人物がいた。五輪シンジケートの「埋み火」とも言えようか。ラミン・ディアクと高橋治之である。