著者のコラム一覧
春日良一五輪アナリスト

長野県出身。上智大学哲学科卒。1978年に日本体育協会に入る。89年に新生JOCに移り、IOC渉外担当に。90年長野五輪招致委員会に出向、招致活動に関わる。95年にJOCを退職。スポーツコンサルティング会社を設立し、代表に。98年から五輪批評「スポーツ思考」(メルマガ)を主筆。https://genkina-atelier.com/sp/

【追悼】「選挙運動で聖火リレーを!」行動力あるアイデアマンだった猪木さんは、理論的で哲学的な人でもあった

公開日: 更新日:

■90年にはイラクで平和の祭典、日本人41人の“人質”を解放

 アイデアマンで、行動力の人だった猪木さんの真骨頂は、90年のイラク人質解放だ。フセインによるクウェート侵攻によって湾岸戦争がぼっ発し、クウェートにいた日本人41人とその家族が事実上の人質になった。政府間の人質交渉が難航する中、猪木さんはイラクで平和の祭典を行うことを発表。難色を示す外務省の反対を振り切ってイラクに乗り込み、イベント開催後に人質の解放に成功した。そのとき、猪木さんはこう言っていた。

「外務省に任せていたらラチがあかない。常識的なことをやっていたら、事態は動かない!」

 私はオリンピックやアジア大会の日本代表選手団本部の渉外業務を通じ、国内オリンピック委員会(NOC)経由の外交ルートが有力であることを経験していたので、イラクNOCを紹介したが、それがフセイン大統領の息子のウダイ(当時スポーツ大臣)につながったと思う。

 私が95年にボスニア紛争中のサラエボに入り、現地の子どもたちのためのスポーツ大会開催に奮闘したのも、猪木さんと通じる思いからだった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議

  2. 2

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  3. 3

    吉川ひなのだけじゃない! カネ、洗脳…芸能界“毒親”伝説

  4. 4

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  5. 5

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  1. 6

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 7

    木村拓哉"失言3連発"で「地上波から消滅」危機…スポンサーがヒヤヒヤする危なっかしい言動

  3. 8

    Rソックス3A上沢直之に巨人が食いつく…本人はメジャー挑戦続行を明言せず

  4. 9

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 10

    立花孝志氏『家から出てこいよ』演説にソックリと指摘…大阪市長時代の橋下徹氏「TM演説」の中身と顛末